たけうち・まさみ 1948年生まれ。大阪市立工芸高等学校建築科を卒業後、建築士となる。仕事を通じて関わった保育園の建設をきっかけに、 幼児教育やおもちゃに関心を持つ。1978年から4年間、中近東の国で石油基地の建設などに従事。現場で体験した革命や戦争を通して人生について見つめ直し、帰国後は自身の夢を叶える『ブレーメンファーム』を拠点に木育に力を注ぐ。『北大マルシェ』には9年連続で出展し、おもちゃ教室を開催。人気を博している。
幸せの形は変わっていくもの。ブレーメンの音楽隊みたいにね
満開に咲き誇る芝桜が美しい、北海道オホーツク地方にある滝上町。力強い渓谷の間を涼やかな清流が流れるこの土地に、ひっそりと佇むウッドハウスがあります。ここは『ブレーメン ファーム』。大阪から滝上町に移住し、木のおもちゃを作りながら田舎暮らしを楽しむ、竹内正美さんが暮らしています。温和な表情とは裏腹に、不安定な情勢の中近東で戦争や革命を経験した竹内さん。おもちゃ教室を通じた子どもたちへの想いや、夢について語っていただきました。
中近東での体験から、田舎への移住を決意
―北海道に移住される前は何をしていましたか?
子どもの頃は幼稚園の先生になりたかったんですが、当時の社会には男性が幼児教育に関わる理解がありませんでした。「どうして僕は幼稚園の先生になれないんだろう」と悔しい思いをしたのを覚えています。幼児教育への道を諦めて建築や設計の道に進んだのですが、29歳くらいの時に、縁あって大阪で保育園の設計をする仕事に携わることができました。保育園に携わる皆さんは環境問題や食の安全に関して理解が深い方が多く、その影響でこの頃に手作りのおもちゃに興味を持ちました。
―その後、中近東の国に渡って苦労されたと聞きました。
30歳から34歳くらいの時なんですが、大手の設計事務所から下請けで派遣されて、イランやイラクで石油基地の建設などに従事していました。もともと地理や歴史が大好きだったので「アラビアンナイトの世界だ!」程度の軽い考えで海を渡りましたね。ですが、現地での生活は想像を絶するものでした。革命や戦争など情勢が不安定な中、電話の向こうから銃声が聞こえてきたり、朝の4時に空襲のサイレンが鳴ったりしたこともありました。今の日本ではそんな状況は考えられませんが、現地の人たちは慣れた様子だったのが恐ろしかったですね。
―どうして帰国後は北海道に移住しようと考えたのですか?
海外での経験を通して自分の生活は自分で変えようと思い、帰国後は都会から離れた北海道への移住を決めました。田舎暮らしに不安はありましたが、中近東の国で目の当たりにした生活を考えると、日本ならどこであろうと真面目に働きさえすれば、なんとか暮らしていけるだろうと考えたんです。結果的に知人から勧められた滝上町に流れ着き、建築士の資格を持っていたことも幸いして、運送業と造林業、建築業など、多くの仕事を任せてもらえました。
自分で選んで自分で作る。それが個性になる。
―子ども向けのおもちゃ教室をやるきっかけは何だったんですか?
滝上町の教育委員会の事業で、子どもたちと一緒に工作をする機会がありました。元々は幼稚園の先生になりたかったし、手作りのおもちゃに興味を持っていたので、喜んで参加したんです。でも、既製品の工作キットを使うことが多く、結果的に同じような作品ばかりが並んでしまうのが悩みだったんです。これは作らせる大人たちの方に問題があるんじゃないかと思い、子供の個性の引き出し方について真剣に考え始めたんです。そんな時に友人に誘われて参加した、北大マルシェという北海道大学農学部の学生たちが主催するイベントでおもちゃ教室をやったことが、大きな転機になりました。子どもたちに「何を作りたい?」と聞くと、ゾウとかヘリコプターとか答えが返ってくるんですね。それを僕が指示しながら少しずつ一緒に形にしていく。苦労の末に完成した時には本人だけではなく周りの子どもたちからも大歓声があがります。飛び抜けてユニークじゃなくてもよくて、自分で選んだ材料で工夫することこそが立派な個性になると気付いたんです。木で作ったお店に木で作った商品を陳列したり、食べ物に見立ててみたり。お買い物ごっこも、おままごとも、一連の流れでできるようにしました。これを『キッズマルシェ』と名付けたんですが、集大成となる作品ができたと自負しています。
―ブレーメンファームの由来を教えていただけますか?
命名の由来はグリム童話の『ブレーメンの音楽隊』なんです。彼らは最初、幸せを求めてプレーメンの町を目指していたんですが、実際には行っていません。だけど、違う場所で違う形の幸せを見つけました。その物語がすごく気に入っていたので、いつかその名前をつけようと思っていました。人の夢や目標っていうのは、最初に思い描いた場所でなくても実現するという体験が僕の根底にあります。おもちゃを通して、「これ、僕は幼物園の先生になれてるな」って、ハッと気づいたんですよね。最初に想い描いていた形とは違うかもしれないけど、大阪の保育園の皆さんと出会えたことや、北大マルシェに誘っていただけたことで、僕の夢は叶えられました。これこそがまさに“ブレーメン”だなって思っています。